グローバル・コンパクト研究センター長 / 菅原 絵美
はじめに
2015年7月に国連グローバル・コンパクト(UNGC)は15周年を迎えました。15周年を祝うイベントが6月23-25日に国連ニューヨーク本部で開催され、ビジネス、市民社会、労働組合、政府、国連機関から1200名を越える代表者が集結しました。UNGCはひとつの区切りを迎えるとともに、また新たな変化も迎えています。そこで、グローバル・コンパクト研究センター(GCRC)では、研究員がそれぞれの視点で、UNGCそして企業の社会的責任(CSR)について紹介する季刊連載「GCRC Quarterly」を発刊することにしました。第1回目の今回は、UNGCのはじまりやこれまでの歩みを振り返りながらCSRにもたらした方向性を確認するとともに、「持続可能な開発目標(SDGs)」など今後に向けたUNGCへの期待について考えてみたいと思います。
1.「グローバルな約束(a global compact)」の提案
1999年世界経済フォーラムにおいてKofi Annan前国連事務総長は、先進国と途上国の間で拡大する経済格差、テロリズムや民族主義、保護主義といったイズムの脅威など、人々が直面するグローバルな課題に前に、ビジネス界に向けて、次のような提案をしました。
「グローバル経済に『人の顔』をもたらすための、グローバルな約束(a global compact)を結びましょう。」 この提案を受けて、2000年に発足したのがUNGCです。UNGCに参加を決めた企業の経営トップは、国連に対する「約束」として、@人権、労働、環境、腐敗防止に関する10原則に合致した戦略および事業活動を行い、責任あるビジネスを実現すること、A協力やイノベーションを重視しながら「国連ミレニアム開発目標(MDGs)」など社会的目標を前進させるために戦略的な取組みを行うことを誓います。
このように、UNGCは「約束」に基づく取組みですが、この「約束」に法的拘束力はありません。守らない企業に対して制裁がないことについては批判も多く聞かれますが、これはUNGCが企業活動を評価・監視する枠組ではなく、企業活動の段階的向上を目指す枠組であることを意味しています。
2.国連グローバル・コンパクトの15年間の展開
この15年間にUNGCは大きく変化しました。Annan前国連事務総長の呼びかけに応じた約50社でスタートした枠組は、現在世界161カ国から8,363の企業、そして4,776の団体が参加する、世界最大の持続可能性推進のネットワークに発展しました(数字は2015年8月末現在)。
また、発足当初のUNGC原則は、人権尊重、労働基準、環境保全からなる9原則でした。2003年の国連腐敗防止条約の成立を受け、2004年に腐敗防止や透明性を内容とする第10原則が加わりました。このように組織統治(ガバナンス)の要素が加わり、ESG(環境・社会・ガバナンス)の側面を網羅することで、UNGCは持続可能性の実現に向けて一段と前進しました。
個々の企業の持続可能性の取組み強化に加え、参加企業・団体が協働することで問題の改善を目指す取組み(コレクティブ・アクション)も展開されてきました。「女性のエンパワメント原則(WEPs)」、「子どもの権利とビジネス原則」、「平和のためのビジネス」、「Caring for Climate」、「CEO水マンデート」、「腐敗防止のための行動要請」など課題別のイニシアチブに加え、約1400の機関投資家が参加する「責任投資原則(PRI)」、600以上の教育機関が参加する「責任ある経営教育原則(PRME)」などステークホルダー別のイニシアチブもあります。自社の取組みを通じて問題改善を図ることはもちろん、国連、政府や市民社会と協働しながら、例えば国連持続可能な開発会議(リオ+20)に際して「企業の持続可能性フォーラム(Corporate Sustainability Forum)」を開催するなど、国際的な意思決定の機会に世界最大のCSR枠組として存在感を示してきました。
また国際社会のみならず、企業が事業を展開する現場である地域に根差した活動も拡大してきました。各国・地域レベルでUNGC参加企業・団体をつなぎ支援するものとして、「ローカルネットワーク」が101存在しています(2014年末現在)。日本では、GCネットワーク・ジャパンが2003年に発足しています。
3.国連グローバル・コンパクトによる企業の社会的責任の方向性
UNGCは、CSRの考え方が世界に徐々に普及し始めた時期に発足しました。世界に先駆けてCSRに取組み始めた欧州で90年代後半から、日本では2003年が「CSR元年」と呼ばれています。UNGCの発足・展開がCSRにどのような方向性を示してきたのでしょうか。
○ 持続可能性は経営課題:バリューチェーンを含めた事業戦略や事業活動で変革を
UNGC発足当時、企業は株主重視の姿勢であり、企業活動に関わる全てのステークホルダーに配慮するという考えは低調でした。また、寄附、メセナやフィランソロピーなど、本業とは区別された社会貢献がCSRとして取組まれていました。UNGCの提案は、企業経営・事業そのものを変えること、バリューチェーン全体のなかで全てのステークホルダーに配慮し、人権、労働基準、環境、腐敗防止に取組むことでした。持続可能性は企業にとって経営課題なのです。潘基文国連事務総長は15周年を祝う会合のなかで「持続可能な開発は慈善ではない、それは賢い投資である」としています。
○ 地球全体に渡る普遍的な価値:どの国・地域で活動していても国際基準を
UNGC10原則は、世界人権宣言、労働における基本的原則および権利に関するILO宣言、環境と開発に関するリオ宣言、国連腐敗防止条約を基に作られました。これら宣言・条約には、各国政府が合意した世界共通で守られるべき基準が示されています。UNGCに参加する企業は、事業を展開する全ての国・地域で、国際社会が認めた基準に合致した活動を実現するよう期待されます。実現は、個々の企業の事業活動はもちろん、他社・団体とのコレクティブ・アクションを通じて取組まれています。
○ レポーティングの重要性:透明性の確保としての情報開示を
UNGCは、制裁の手段を設ける代わりに、取組みの進捗状況を開示する仕組みを採用しました。企業は、1年間の取組み内容を「コミュニケーション・オン・プログレス(COP)」として提出しなければなりません。2年間COPを提出しない場合は除名されます。COPは、提出時に回答する自己評価の結果とともに、一般に公開されるため、国連だけでなく、ステークホルダーに対する説明責任を果たすことになります。ステークホルダーが多様化するなかで、透明性は益々重視されてきており、情報開示がなければ取組み自体がないと評価されかねません。2013年10月からは、企業のみならず、団体も隔年で活動報告が求められるようになりました。
○ 企業の目標としてのMDGs:グローバルな課題解決の担い手として
UNGC発足と同じ2000年に誕生したのがMDGsです。これは、極度の貧困と飢餓の撲滅、普遍的初等教育の達成、ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上といったグローバルな課題を2015年までに解決しようという国家の政治的合意(ミレニアム宣言)から生まれました。当時、国際協力を担うといえば、国家や国際機関、NGOでした。実際の開発現場で、例えば学校や病院の建設、学用品や医療品提供を請け負っているのは企業でしたがビジネスを通じての関係で、企業の存在はあまり重視されていませんでした。UNGCはMDGsを企業が取組むべき目標として掲げ、企業をグローバルな課題解決の担い手として位置付けました。
4.国連グローバル・コンパクトのこれから
UNGCに参加することで、企業は、バリューチェーンの全てのステークホルダーに対し、人権、労働、環境、腐敗防止に取組んでいくことになります。「職場」はもちろん、顧客や取引先と接する「市場」、住民と接する「地域」も対象となります。このUNGCの「職場、市場、地域」という可能性に、国際社会から次のような期待が寄せられています。
○ G7エルマウ・サミット首脳宣言に示された「女性のエンパワメント原則」への期待
今年6月7−8日にドイツのエルマウにおいてG7首脳会議(サミット)が開催されました。首脳宣言のなかで、UNGCとUN WomenのイニシアチブであるWEPsが取り上げられました。宣言では、女性の経済的な参画は貧困と不平等を削減し、成長を促進し、全ての人々に恩恵を与えるにもかかわらず、女性はこれまで差別や侵害に直面してきたこと、民間部門が女性の経済活動への参加を可能とする環境作りの上で極めて重要な役割を有していることを確認し、WEPsを企業活動に組込むよう働きかけていくことを宣言しました。
○ 「持続可能な開発目標」で注目されるビジネスの役割
MDGsでは目標8の限られた文脈で少し企業に触れる程度でした。UNGCの発足、そして気候変動、女性のエンパワメント、腐敗防止などの分野での影響力を受けて、SDGs検討過程をまとめた国連事務総長統合レポート(A/69/700)において、企業は「鍵となる役割」と明記されるに至りました。ビジネスのやり方を変える、そして市場を変革し、製造・消費・資本分配をインクルーシブで持続可能にするよう貢献できるとしています。この秋の国連総会でSDGs最終案が発表となりますが、そこに示される企業の役割に注目です。
このように企業の役割に期待が高まる一方で、その可能性と限界の境界線を見極めていかねばなりません。企業は営利組織であり、日々刻々と変化する国際環境のなかで、事業の利益と永続性を度外視した役割を企業に期待することはできません。持続可能な社会を築くことは企業にとって当然メリットになりますが、「持続可能なビジネス」を支える「持続可能な市場」をいかに築いていくのか、PRIやPRMEを抱えるUNGC、そして私たちステークホルダーの課題です。
さて、15年間UNGCをけん引してきたGeorg Kell氏が退職のため国連を離れるにともない、国連事務総長はLise Kingo氏を9月1日よりUNGC事務所長に任命しました。Kingo氏はデンマーク大手製薬会社ノボ・ノルディスクで副社長を務めた人物です。新たなフェーズに入ったUNGCを、GCRCでは引き続き調査・研究し、発信していきます。
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