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GCRC Quarterly Vol.4 (2016年7月)

グローバル・コンパクト研究センター研究員 / 土屋 仁美


はじめに
GC10原則の4分野には、労働基準と環境が盛り込まれています。そこで、雇用者や製造業者に対して、労働者の安全について、環境や健康に深刻な損害が発生するのを予防しようというフランスの取組について紹介します。この取組には、「予防原則」が深くかかわっています。
フランスを含む多くの国々で、新規科学技術の導入や新規病原体の出現にともない、科学的に不確実な状況で、いかに環境や安全を確保していくかが問題となっています。予防原則は、科学的知見では不確かなものであったとしても、損害が発生すればそれが環境に対して深刻で取り返しがつかないような影響を与えると考えられる場合には、公的機関は、その損害の発生を回避するために起こりうるリスクの評価手続きを行い、適切な措置をとることができる、という原則です。すなわち、損害の発生が確実で周知の危険のみを防止する「安全配慮義務」に関する民事責任の伝統的なアプローチではなく、製品や活動に際して発生するかもしれないという不確実なリスクに対して保護措置を講じることができる、リスク分析方法論に補足的な仕組みです。その適用は、フランスでは環境分野に明示されていますが、近年は、健康分野において適用が拡大しています。
この予防原則の拡大には、裁判が主要な役割を果たしています。人々の健康には企業活動の影響が大きいことから、企業の責任に関する訴訟が多く提起されており、雇用者・製造業者は、製造または利用する製品に関するリスク把握に留意し続けることが求められます。 そこで、予防原則による企業活動への影響として、フランスのアスベスト訴訟における雇用者の結果の安全義務に関する破棄院(Cour de cassation)の司法判断について紹介します。破棄院は、日本でいえば、民事および刑事分野の最高裁判所です。

1.フランスにおける予防原則の概要
フランスでは、2004年に、環境憲章に予防原則が導入されました。2005年にはフランスの憲法典である「1958年憲法」に統合され、国家による取り組みがより一層強化されています。「最新の科学的知識が不確実であるとしても、損害が現実になることで、深刻で不可逆的に環境に作用する場合には、公的機関は予防原則を適用することにより、権限領域において、リスク評価手続きと暫定的で比例的な措置の実施に留意する」ことが定められています(環境憲章5条)。
予防原則が適用される条件は、最新の科学的知識が不確実であるとしても、損害が現実になることで、深刻で不可逆的に環境に作用する場合です。このような場合に、公的機関は、リスク評価手続きと暫定的で比例的な措置の実施に留意することが求められます。
この予防原則の性質は、あくまでも公的機関に適用されるというものです。2008年に、憲法院(Conseil constitutionnel)によって、環境憲章5条(予防原則)は、「環境憲章に定められた、すべての権利や義務のように、憲法規範的価値があり」、「公権力や行政機関のそれぞれの権限内において不可避」であることが示され(Decision n° 2008-564 DC du 19 juin 2008, cons. 18.)、国務院(Conseil d'Etat)においても、2010年の判決(CE, 3 octobre 2010, Commune d'Annecy, n° 297931.)において、環境憲章の権利や義務は、憲法規範的価値として、公権力と行政権限の管轄内において不可避であることが示されています。
他方、健康分野における適用について、環境憲章1条は、「誰でもバランスの取れた、健康を尊重する環境で生活する権利を有する」と定めています。しかし、環境憲章の5条では健康について述べられていないことから、健康分野における予防原則の適用の可否が問題となっていました。
この環境憲章1条と5条の関係について、破棄院は、2012年に、携帯電話の中継アンテナの設置決定について争われた事件(CE, 8 octobre 2012, Commune de Lunel, n° 342423.)において、予防原則は、「関係住民の健康を害する可能性がある状況で、環境に影響を及ぼす活動に適用される」と判断し、初めて環境と健康との関係が明白に肯定されました。不動産のアスベスト粉塵に関連するリスクに対する住民保護について争われた事件(CE, 26 fevrier 2014, Association Ban Asbestos France et autres, n° 351514.)においても、同様の判断がなされています。

2.フランスにおける雇用者の結果の安全義務(obligation de securite de resultat de l’employeur)
以上のように、予防原則は公的機関に対して適用される原則です。しかし、民事責任法の分野においても予防原則の影響が指摘されており、これは企業にも大きく関連します。
法的な民事責任は、損害が生じた後に課されます。フランスの民事責任法でも同様です。他方、予防原則は、損害の発生を予防するものです。雇用者・製造業者は、実際に損害が生じていなくても、不確実なリスクの予防が課されることになりました。科学的に不確実である場合でも、環境・健康分野における深刻な損害の予防が、法的責任として課されることになったのです。

(1) フランスにおける雇用者の結果の安全義務(obligation de securite de resultat de l’employeur)
フランスでは、雇用者は労働者に対して「結果」の安全が義務づけられています。ここでいう「結果」の安全は、労働者の「身体的・精神的健康に対する侵害がないことではなく、雇用者によって(実際に!)講じられた全ての措置の合理性、適切性、適用性が、判事によって分析され、高く評価され得ること」(Pierre-Yves Verkindt)が求められます。
労働法典L.4121-1では、「雇用者は、労働者の安全を確保し、身体的・精神的健康を保護するために必要な措置を講じる」ことが規定され、保護措置には、「職業リスクの予防行為」、「情報(information)と職業訓練(formation)についての行為」、「組織の設立と適切な方法による実施」が含まれています。「雇用者は、状況(情状)の課題を考慮し、現状の改善を目指すために、措置の適用に留意する」ことになります。

(2) アスベスト訴訟における雇用者の結果の安全義務
雇用者の結果の安全義務に対する予防原則の影響については、アスベスト訴訟において、雇用者と従業員との関係、雇用者と他の企業との関係について指摘されています。
アスベストによる健康被害における雇用者と従業員との関係について、破棄院では、雇用者には「賃金生活者に対する結果の安全義務が課せられ」ており、「雇用者が、賃金生活者に曝した危険に気づいた、または気づいている時」には、職業上の病気の発生のすべては、「正当化できない過失となる」ことが判示されています(Cass. soc., 28 fevrier 2002, n° 99-17201.)。よって、アスベストが合法ではあったとしても、専門労働者がその危険性を知り、または知り得たのであれば、無為を正当化するために、国家の怠慢を主張することはできません。
また、雇用者と他の企業との関係において、雇用者は、納入業者に対して製造・利用された製造物の性質について問い合わせる義務を負うことになります。雇用者は、「無害を確認するように、また、危険がある場合には第三者機関と協力して、賃金生活者の健康を守る適切な措置を講じるように、……(納入業者に)製造・利用された製造物の性質について問い合わせる義務がある」ことが確認されています(Cass. civ. 2e, 8 november 2007, pourvoi no 07-11219.)。

(3) 雇用者によるリスク評価の必要性
雇用者の結果の安全義務に関連して、雇用者には、労働者の健康や安全のためのリスク評価が課されます(労働法典L.4121-3)。雇用者は、リスクの評価結果に基づいて、予防行為や安全と健康のより良い保護水準を保障する労働と製造の方法を実施しなければなりません(労働法典R. 4121-1)。雇用者は、改善行為と同様に、健康と安全のために、労働者にリスクを知らせ(労働法典L.4141-1)、労働者の安全のための職業訓練を企画する義務を負っています(労働法典L.4141-2)。

おわりに
フランスだけではなく、日本においても、科学的に不確実な状況で、いかに環境や安全を確保していくかが問題となっています。日本では、主に環境分野において予防原則が議論されていますが、フランスのように健康分野への適用の必要性が指摘されています。フランスの予防原則は公的機関によって適用される原則ですが、人々に対する影響の大きさから、企業活動にも影響が及んでいます。日本においても、CSRを含む企業活動に対して、従来よりも小さなリスクの把握・予防に留意し続けることが期待されています。

【参考文献】
G. Deriot, Rapport d'information fait au nom de la commission des affaires sociales par la mission d'information sur le mal-etre au travail - Tome I : Rapport. Senat, Commission des affaires sociales, 2010.
P. Jourdain, Principe de precaution et responsabilite civile, petites affiches 239 (2000), pp. 51-57.
C. Noiville, Principe de precaution et droit de la sante, dans A. Aurengo, D. Couturier, D. Lecourt et M. Tubiana, Politique de sante et principe de precaution, PUF/Quadrige essai, Paris, 2011, pp. 35-52.
P.-Y. Verkindt, Sante au travail : l’ere de la maturite, Jurisprudence sociale Lamy 239 (2008), pp. 3-5.




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